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7月の外務省各省庁との意見交換会(抜粋)
2006 / 10 / 10 ( Tue )
7月意見交換会
●は、参加者の意見 ■は、各省庁の発言です。

緊迫したやり取りを掲載していますので、是非お読み下さい!!

●政府報告書は何時出されるつもりなのか。政府報告書は何処で最終決定されているのか。
報告書を提出していない国も沢山あると思うが、提出していない国々の提出していない理由、国の名前を教えて頂きたい。児童の権利条約だけではなく、主要6人権条約に関して全て教えて頂きたい。で、これを公開していただきたい。
●条約の内容の解釈権と広報宣伝についてお聞きしたい。八尾市ではパンフレットが出ている。「こどものけんりじょうやく」と平仮名のタイトルである。裏表紙には連絡先として八尾市人権協会内と書いてあり、発行者は八尾市権利委員会となっている。最後の頁の見開きに意見を寄せる所があり、ここにも八尾市人権協会内、八尾市権利委員会と書いてある。これを一般市民が見ると、八尾市が発行しているものと思うだろう。これについて調べた所、これは八尾市とは一切関係のない民間の団体が発行したものである。独立した民間団体で、八尾市人権協会は連絡先だという。八尾市から監修を受けるなどということは一切ないと言っている。だから市役所内にも対応する部署は無いと返事を受けている。
パンフレットでは、条例の内容について色々解説している。川崎市と同じように、随分曖昧な解釈をしている。例えば「こどもって親のこと好きやで。たいせつに育ててや」という文章だけが載っている。コラムでは子供を育てる責任が親にはありますと説明している。国にもその責任があると書いてある。更に、「なにを大切におもうって人それぞれやん。」と知識も自我も欠ける児童に自己決定を容認している文章である。子供の売春を認める性の自己決定と同じ。「心は自由やから何を信じてもええねん」「仲間をつくったり集まったり考えをあらわすのに行動してええねんで」という説明をしている。
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更新が遅れました
2006 / 10 / 10 ( Tue )
8月末に、訪米することが決まり、そのための作業のために、ブログの更新が出来ませんでした。

さて、外務省との意見交換会は、5月と7月に行なわれ、3度目の開催を要望しましたが、聞き入れてもらえませんでした。

その意見交換会の模様は、http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/kokankai/index.html
にありますが、まともな議事録とは言えません。

そういうわけで、5月の意見交換会の抜粋と、7月の意見交換会の抜粋を掲載します。



5月12日意見交換会

5月12日の意見交換会には、私が声をかけた約五十名を含めて七十名ほどの人々が参加した。外務省人権人道課の司会で、内閣府、警察庁、法務省、外務省、文部科学省、厚生労働省から報告書に盛り込むポイントの説明が行われたが、我々の出した意見書への回答はほとんど無かった。30分ほどして質疑応答の時間に移った。こちら側の参加者の方々とは全く事前の打ち合わせも出来なかったが、多くの方々から鋭い指摘、質問が次々に発せられた。官僚たちとこちら側の非常にエキサイティングなやり取りを、そのまま実況したい所ではあるが、誌面の関係上出来ないのが残念である。意見交換会で主に問題になったのは、以下の点である。
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子供の支配をたくらむ新世界秩序~米国Eagleforumレポート
2006 / 07 / 24 ( Mon )
アメリカの保守団体、Eagle Forumをご存知でしょうか。
フィリス・シュラフリーという女性がそのトップを勤められていますが、このシュラフリー女史は、アメリカの「女子差別憲法修正案ERA」(日本の男女共同参画基本法のようなもの)を、成立させないために力を尽した、第一の功労者です。

シュラフリー女史は高齢になられた今も、精力的にレポートを書いておられます。

児童の権利条約に関連して、1993年3月に出されたシュラフリーレポートを、児童の健全な育成を守るNGOネットワークの世話人、原弓彦さんが翻訳して下さいました。
ぜひとも、お読みください。


(注:下線は訳者が追加)

子供の支配をたくらむ新世界秩序

児童防衛財団(CDR: the Child Defense Fund)は子供の育児を政府にやらせることを目的としている中心的な団体ですが、クリントン政権下で新たな目標を設定しました。この団体は、膨大な経費がかかる「ABC児童子供育児法案」の成立に下院で失敗したため、今回は国連の児童条約の署名と批准を求めて運動を展開しています。もしこれが成功すれば、子供の権利とやらを支持する弁護士が子供の両親を相手取って訴訟を起こすことができるようになります。
ヒラリー・クリントンが、1986年から1991年までこの財団の理事長を務め、1991年、ドナ・シャララ(Donna Shalala)(現在HHS長官:the United States Department of Health and  Human Services)と交代しましたが、現在の理事長マリアン・エーデルマンはヒラリーの親友ですから、クリントン政権は、この条約の推進に全力を挙げるものと見なければなりません。

さて、この児童条約の名称は、「国連児童の権利条約 the United Nations Convention on the Rights of the Child」です。この条約は、1989年11月20日、国連総会で全会一致で採択され、既に100カ国以上が署名しています。ジョージ・ブッシュ大統領は、署名もしていませんし、上院に批准を求めることもしていません。この条約を拒否する理由は数え切れません。 

仮に、この条約が連邦法として提案されたとしても、この法案は決して成立しないでしょう。何故かと言うと、その法律は、子供、家族、及び学校に対する巨大な支配権を連邦政府に与えることになり、また、条約の条文が極めて曖昧であり、しかも、連邦政府の州政府に対する不当な介入を容認することになりますから憲法違反になりますので、アメリカ国民は到底受け入れることができないからです。

ところが、この条約は国連がその出生に祝福を与え、高邁な目的を掲げ、耳に心地よい言葉で埋め尽くされています。また、この条約のセールスマンたちは、例えば、ボリビアでの極悪非道な虐殺のように胸の痛む児童虐待の数々の物語を持ち出して売りつけようとしています。アメリカの児童防衛財団及び150に及ぶリベラルの推進団体は、この条約批准を政治目標に掲げ、政治家選別のリトマス試験としてこの条約を利用し、議員を「児童の権利擁護派pro—children」と「同反対派anti-children」のレッテル貼りを展開しています。

条約の締結を議論する場合はいつでも、その意図は何かということと同時に、条約に使われている言葉(用語)の意味を研究し、各条文の規定の解釈は国際機関(我々はこれを制御することが出来ません)に握られているのですから、それら条文が、アメリカの主権を侵さないのかどうか、市民の権利を侵害しないのかどうか、徹底的に審議しなければなりません。

アメリカの政治(法)哲学は、独立宣言とアメリカ憲法に書かれているように、国民の生命、自由、財産に関する不可譲inalienableの権利は神Creatorから国民一人ひとりに与えられたものであり、法の適正な執行なしにwithout due process of lawそれを侵害してはならないこと、また、政府の第一の任務はそれら諸権利を保護することである、というものです。ですから、アメリカ国民は、個人の権利が政府や国連や王様や様々な支配者に与えられたとか、まして社会から与えられたなどとも考えてはいません。

アメリカの憲法は、アメリカ国民が政府に対して要求できるいくつかの権利を列挙しています。さらに、憲法修正第9号には、「憲法に列挙する権利は、国民がそれ以外に持っている権利を否定し、あるいは、軽視disparageしている、と解してはならない。」と付け加えています。ところがこれとは反対に、この国連の児童の権利条約は、児童の持つあらゆる権利を包括的に列挙し、児童の権利が、国連条約そのものあるいは政府によって与えられるoriginateという観念conceptを前提としています。その論理的帰結として、児童は、この条約に存在しない権利はもっていない、政府が与えたものは当然政府が取り上げてもいい、ということになります。

万一、この国連条約がアメリカの法となった場合―この条約は、条約上列挙している諸権利は政府が与える物であるという前提に立っている―現存するアメリカ国民の権利の地位を引き下げることを意味しています。国連のあるゆる条約、国連の裁判所、及び官僚たちはアメリカ人の権利に関する法哲学に敬意など持ちあわせていませんから、外国の法律家が解釈する文書に国民を服従させることによって、我々の自由を不当に制限する、というとんでもない結果をもたらすことになるのです。

誰がこれらの権利を行使・強制enforceするのか

国連の児童の権利条約に関する次の問題は、誰がこの条約上の権利を行使・強制するのか―誰に対して行使・強制するのか、ということです。アメリカの憲法では、言論の自由に関する権利は、個人がこれを侵害する政府に対して要求する権利です。ところが、この国連条約は、児童の権利を誰に対して行使・強制するのか何ら言及していません。しかし、合理的に推定すれば、これら多くの諸権利は政府の支援を受けて両親に対して行使・強制されることは明らかです。

この条約は、児童にたいして、あらゆる問題について自由に意見を表明する権利を与え(12条)、 「児童が選択するメディア」を通じてあらゆる情報を入手する権利を与え(13条)、「信教の自由」を与え(14条)、通信への干渉から保護される権利を与え(16条)、国内及び国外のメディアの情情報源にアクセスする権利を与え(17条)、「自分の言語」を使う権利を与え(30条)、「休息したり遊んだりする」権利を与えています(31条)。

一体全体、これらの権利は何を意味しているのか、どのように行使・強制されるのか、特に、誰に対して行使・強制されるのでしょうか? 児童は、休息し余暇を楽しむ権利を楯に、宿題や家事を拒否することができることを意味しているのか?さらに、児童が、政府が費用を負担する弁護士に頼んで両親を被告として訴訟を提起することを意味しているのか?

また、児童は、自分の母国語を学校で使う権利を有し、さらに、英語を使うように強制されることは無い、ということを意味しているのでしょうか?国内外の情報源からの発信されるメディアの情報を得るためにテレビを見ることを要求することができる、ということを意味しているか?

児童は、夕食のテーブルで、両親に対して自分の言いたいことなら何でも言える権利を主張することになるのか? 児童がカルト集団に入ったり、両親が通っている教会とは別の教会へ通えるようにするために、政府が児童を支援するという意味なのか?この国連条約はこれらの数々の疑問に何ら回答を与えていません。

ここに取り上げたものは、54条にわたって(アメリカ憲法の全条文より多い)散りばめられた数ダースに及ぶ全く新規の「児童の権利」のごく一部に過ぎません。一方、この条約は「両親の権利及び義務」という定義されていない曖昧な用語に言及するのみで、両親が未成年の児童に対していろ決定する権利が存在するということを認めていません。

教育権を簒奪する

 連邦議会が、あらゆる児童を対象とする教育のカリキュラムを連邦政府(連邦教育局)が作成することにする手続きを定める法案を審議すると仮定しましょう。そうなると、学校のカリキュラムを作成するということは連邦政府の関与すべきことではない、という抗議の声が児童のご両親や市民から湧き上がることになるでしょう。あらゆる分野で、地方の教育権を守るために多くの国民は立ち上がるはずです。私立学校は、自分たちは絶滅人種になるのではないかという不安の声を上げるでしょう。

 子供の権利条約は、教育上いくつかの微妙な分野において、全ての児童を対象とする教育の内容を規定しています。条約の第28条は、児童に教育すべきものとして「国連憲章に定められた諸原則」や「自分が生まれた国の価値観と自国とは異なる文化を尊重すること」(これは、カリキュラムとしては議論の多い世界的教育global educationとか多文化主義multiculturalismというアプローチを意味している)、「両性の平等」(これは、女子差別憲法修正案ERAを推進することを意味しますが、ERAは1982年にアメリカ国民によって拒否されました)、「自然環境を尊重する態度を涵養する」(アメリカで政治的的論争を呼んでいる問題の一つです)などを挙げています。

 この条約は、私立学校の存在は容認していますが、前述の内容の教育を行うことを条件としており、その場合は政府の基準に従うことを要求しています。

 アメリカ国民は、これらの微妙な分野についてすべての児童が学ぶ教育内容を、連邦議会が規定することは容認しませんし、ましてや、国連が我国の法律の内容を規定するなんてことは許さないでしょう。でも、もしこの条約が批准されますと、学校のカリキュラムを定める全面的な決定権限が我国の最高法規の一部に組み込まれることになります。

 条約が求める巨額の経費負担の義務
 
 いくつかの分野では、この国連条約は児童が経済的便益を受けられるように「確保に努める」とか「適切な支援措置を執る」とか「全ての適切な措置を執る」という言い方で、政府に対して義務を課しています。条約第4条は、「経済的、社会的、文化的権利」を行使できるようにするために、政府は「あらゆる適切な立法上、行政上その他の措置を執らなければならない」としています。さらに、政府は、「あらゆる利用可能な資源を最大限に利用する措置を執らなければならない」としています。

 この財政的義務の中には、「健康支援サービス」(24条),「社会的安全」(26条)、及び生活空間、栄養、衣服、住居について「適切な」基準(27条)が含まれています。

 これらの用語は実際何を意味しているのでしょうか?大きな政府派のリベラルたちは必ずや、これらの義務を果たすために新税をを課すとか、さらに財政赤字を増やすように議論することでしょう。

 条約は育児施設整備を義務付ける

 この国連の条約は、恐らく、国が経営する育児システムを作るように要求していると考えていいでしょう。第18条は、政府は「―働く両親の―育児のために必要な制度、施設、サービスの拡充をしなければならない」、と規定しています。この条約はこのようなサービスや施設からの便益を受ける権利を児童に与えているのです。

 さて、この国連条約は育児放棄neglect、搾取exploitation、虐待abuseから子供を守るために普遍的な法的基準を作ることが必要だといっていますが、一体何を意味しているのでしょう? 政府運営の育児センターを作らないことは、「育児放棄」になるのか? 
児童を(自宅育児より)もっと病気にかかりやすい環境の育児センターに預けることは「育児放棄」には当たらないのか?我々はこのような解釈問題を国連の裁判官や「専門家」に全面的に任せてしまうことになるのでしょうか?


 この条約は、政府に対して、育児制度、サービス及び施設に関する基準を確立することを義務付けています。全国的な育児施設の全国一律な基準を作るというのは、ABC育児法案にも含まれていましたが、議会は長時間の議論を経て1990年の立法に当たってこのやり方を拒否しました。この議会の決定が国連の命令によって覆されてoverriddenもいいのでしょうか?

この国連条約は、児童に、育児放棄あるいは不適切な育児から保護される権利が与えられています〔19条〕。 すると、ホーム・スクーラー(自宅学習)は、子供を学校に通わせないから、「育児放棄」の責任を問われることになるのでしょうか? あるいは、7歳なら8歳までに、学校に通わせないことで責任を問われるのでしょうか?

 新たな訴訟に道を開く

 アメリカ憲法では政府に向かってだけ行使されるいくつかの権利を掲げていますが、この国連の条約は、「児童の権利」は両親、家族、私的な制度、社会全体に対して行使される、と宣言しています。条約は法的文書であり、一度批准されると「国の最高法規」になるのですから、アメリカ市民自由連合〔ACLU: American Civil liberties Union〕は法律家たちは、必ずや、裁判所が条文の意味、適用範囲がどこまで拡大するのかをテストするために一連の訴訟を提起すると考えていいでしょう。こうして、この条約は国内・国際法廷で訴訟というパンドラの箱の蓋を開けることになります。どちらの法廷がより混乱するのかは予見できませんが。
 国際法廷はアメリカに対してしばしばバイアスのかかった立場を取っています。数年前、国際裁判所がアメリカを不公平に扱ったことがありましたが、レーガン政権はあっさりとこの裁判所を無視しましたthumbed its nose at the Court。他の政権ならこの不公平な扱いを黙認していたかもしれません。一方、アメリカの裁判所では、毎日、判決を下しており、その判決がアメリカの法となっていますが、もしこれらの判決が国内法で無く国連の条約を下に決定されるとすればアメリカ国民の利益に反することになります。国中の裁判所でこの国連条約をこの国の最高法規として裁判に適用することを始めれば、国民はショックを受けることになります。この条約は曖昧な法的要件が極めて多く、多義的な解釈を許し、時には正反対の解釈をさえ許容する代物なのです。

 例えば、第24条〔3〕は、政府は「児童の健康を害するおそれがあるprejudicial伝統的な慣行を廃止するためにすべての効果的かつ適切な措置をとらなければならない」と規定しています。これは一体どういう基準なのでしょうか?必ずしも有害でもないし取るに足らない慣行でも、「害するおそれがある」ということになり、しかも、その解釈は選挙で選ばれていない裁判官が行うのです。(第24条3(外務省訳)害するようなprejudicial)

 また、第28条は、「初等教育は義務的なものとし、全てのものに対して無償とする。」とありますがどういう意味なのでしょうか?私立学校あるいは宗教団体が経営する学校に対しても政府が補助金を出すことを義務付けているのか、―もしそうなら、宗教団体の学校はその宗教的慣行を是正することを要求されるのか?いずれの場合にも、既存の米国の最高裁判例を変更することになります。そんなことで米国の裁判所がいちいちこれらの疑問に答える必要があるのでしょうか?

新たな国際官僚組織が必要

 勿論、このたいそうな条約の目的は新たに国際官僚組織と監視組織を作らなければ達成できないでしょう。子供の権利条約は、10人からなる「専門家」で構成される児童の権利委員会を設置しましたが、この専門家は、条約に署名した国が推薦するもののリストの中から秘密投票で選ばれることになっています。言うまでもなく、アメリカ人がこの専門家委員会に選ばれる保証はありませんし、さらに、専門家の中の一人でもアメリカの制度や伝統に好意的な考えを持っているかどうかさえ保証の限りではありません〔43条、44条〕。

 国連事務総長は、この専門家委員会が条約に定める「義務の履行の程度」を監視し報告する作業を支援するために「必要なスタッフと施設」を提供することになっています。このことは、単に経費のかかる国際的「お節介屋」たちの活動に留まりません、なぜなら、この条約は一般的な希望を表明したものではなく、「権利」とか「義務」という強制的な用語が満ち溢れているからです。

堕胎に関する矛盾する諸規定

児童の権利条約は、胎児に権利が与えられるかどうかという基本的な問題について、曖昧で、誤解を招きやすく、かつ矛盾しています。アメリカ人がこの問題について最終的にどのように判断しようと、意思決定を国連条約に委ねるべきではありません。この条約は、恐らく、米国の法並びに最高裁判所の判決を覆すような包括的な堕胎に関する権利を創設するものだ、と論じる向きがあります。また、生まれた子供にも胎児にも同じ権利を与えるものだ、と論じる方もいます。この問題には4つの条文が関わっています。

前文の文言を見ると、児童の権利は、「出生前および出生後のbefore as well as after birth児童に適切な法的保護を与える」〔外務省訳:「その出生の前後において」〕とあります。しかしながら、前文には法的効果は無い、という議論がありえます。文言が非常に曖昧ですから、胎児についてはその後生きて生まれた場合のみ権利が認められると論じることもできるでしょう。

第6条には、全ての児童は「生きる権利」(外務省訳:「生命に対する固有の権利」)があると書いています。しかし、「生きる権利」と「プライバシイの権利」のいずれが優先するかが論じられた場合は、アメリカの裁判所は、いつでも、胎児の生命を尊重するよりも堕胎を容認する立場を取ってきました。

第16条は、児童のプライバシイの権利を定めています。そこで、アメリカの最高裁の判例では、「プライバシイ」という文言が、堕胎の権利を創設したキーワードになっています。したがって、間違いなく、法律の専門家たちはこの条約が連邦法にプライバシイの権利を創設し、その結果、裁判所はプライバシイの権利には堕胎権が含まれているという使い方をすることになる、と論じるはずです。

第24条(f)は、「家族計画に関する教育とサービス」を受ける権利を認めています。この用語は、一般的に、堕胎サービスの法的根拠に使われています。

第2条は、男女の性別に基づく差別を禁止しています。いくつかの裁判所では、民間及び政府の雇用者が、〔被用者に〕健康管理サービス及びその他のタイプの医療のための保険を提供する場合に、この用語が入っていると堕胎にも経費を払ってもらう権利が生じる、と判断しています。その根拠は、女性のみが堕胎するのだから、堕胎に対する経費の支弁を拒否すると、性別を理由とする差別に当たる、というものです。

1990年11月11日、上院が大統領に児童の権利条約を上院に送付するように要請する決議を審議した際に、ジェス・ヘルムズJesse Helms上院議員は、本条約は胎児の権利に関与しない、ということを確認する修正案を提案しましたが、この提案は否決されました。したがって、上院は、条約が堕胎問題に影響を及ぼしてはならない、という宣言を記録に残す意思がないことを表明したことになります。

ある下院議員の警告

トーマス・ブライリーThomas J. Bliley Jr.下院議員は、国連の子供の権利条約の研究に時間を掛けた数少ない下院議員の一人です。彼は、その危険性に強い警告を発し、「一見すると、この条約は、栄養、健康管理、居住空間、教育という児童にとって基本的に必要なものに対する権利を政府が保護するという新たな国内的国際的枠組みを創設するものである。しかし、これらの目標は賞賛すべきものだが、同時に、数多くの混乱を生み出すだろう。」と述べました。

例えば、第28条〔2〕は、政府に対し、「学校の秩序disciplineは、児童の人格の尊厳と両立し、かつ、条約に適合する方法で維持されるようにするためにあらゆる適切な措置をとらなければならない」としています。我々は、果たして、「このような保護」のありようを監視する権限を国際委員会に与えることを許容すべきなのか? これらの「諸権利」は現実的な意味があるのか、それとも、児童を支援するという態度を偽装することによって政治的に利用しようとする人々の「巧妙な政治的キャンペーン」に過ぎないのではないか?

バイリー議員は次のように警告します。「この条約は我々の政治のやり方を変えさせる脅威となる可能性がある。書いている通りに読めば、この条約は児童の権利を与えることによって政府に国民に優越する地位を与えている。そのことが如何なる重大な問題を引き起こすのか? 政府権力を制限すべきだとするわれわれの考え方に反している。これらの多くの権利は我国の憲法には存在していない、むしろ、我らの創造主から与えられた不可譲の権利として存在していると考えられている。

さらに、次のように続けて述べています。「より具体的に言えば、憲法修正第9号及び第10号により諸権利は州及び国民に留保されているが、憲法第VI条には[全ての条約は、、、我国の最高法規であり、すべての州の裁判官はこれに拘束される、この条約に反する州憲法及び州法には拘束されない]と定められており、この条文に従えば第9号及び第10号は無効になるのである。」

したがって、バイリー議員によれば次のようになります。「何百人もの裁判官が、条約を思うがままに解釈し、州法を超越する権限を持ち、「育児の責任を果たす両親及び法律上の保護者に対する適切な支援とか、育児のための制度、施設、サービス」などという条約上の曖昧な目的を達成することになるのである。」

バイリー議員は次のように結論しています。「事態は明白である。批准は、児童のためではない。政治権力のためである。この批准は、我々にとって尤も貴重な自由、国民の権利、及び政治形態に対する脅威となる可能性がある。」

国連児童の権利条約は、アメリカ人にとって全ての裁判において不利益をもたらすことになります。大統領が署名し上院が批准するという事態は絶対に容認してはなりません。
以上
22 : 13 : 30 | 児童の権利条約 | trackback(3) | comment(2) | page top↑
外務省に提出した意見書~その2
2006 / 07 / 20 ( Thu )
5月12日の外務省他各省庁との意見交換会までに提出した我々の意見書は、2つありました。
1つは、既に此処に掲載しているものです。

いま一つの意見書は、児童の健全な育成を守るNGOネットワークの「世話人」に就任して頂いている原 弓彦さんの書かれたものです。
(なお、代表世話人は岡本明子です)

その内容を、此処に掲載いたします。

「人権」を、ラディカルに考察された意見書として秀逸だと思います。
また、児童の権利条約批准の際の、国会でのやり取りについても触れられていますので、是非、お読みください。



児童の権利条約第44条に基づく日本国政府報告に対する国連・児童の権利委員会の最終見解〔2004.2.26〕に対する意見

1一般的意見

 (1)本条約は、「女子差別撤廃条約」と同様に、人権に関する「全体主義的な法思想」に基づいて策定されている。国民の天賦の権利たる人権を国連や政府が管理する対象と看做し、条約全体として権利の内容を細かく規定し、国連や政府がその履行状況を細かく監視するという恐るべきシステムを構築している。これはジョージ・オーウェルの「1984年」の世界を思わせる監視社会であり、自由主義社会では国家が人権に抑制的に対応すべきであるとする理念に反する。
 さらに、人権至上主義の立場に立ち、家庭、学校、さらに社会の一員としての児童を取り巻く法秩序並びに伝統、慣習、文化と児童の権利の調和を無視し、児童の人権のみを強調して周辺の人権との調和を無視している。そのことは、条約で、児童の社会の構成員としての義務には一切言及していない事実に明白に表明されている。その結果、児童の周辺社会〔特に家庭〕内の公序良俗、倫理、さらに他人の人権等と不断に衝突・紛争する事態を招来することは歴然としている。こうして、条約は、児童と社会との不断の軋轢を誘発し、児童そのものを不幸に落とし入れることを意味する。従って、児童の幸福を願う多くの国民の願いを政府が踏みにじることを強要する条約であり、政府は、速やかに同条約批准を撤回することが相当であると思料する。
国民は人権に優先して幸福を求めている。人権の保障は、幸福追求の一手段に過ぎない。人権のために幸福を破壊されるなら、人権は不要である。
政府は、この条約の根底にある人権に関する法思想を如何なるものであると考えているのか、その見解を明らかにされたい。
〔補足説明〕
ア 本条約は、多岐にわたる「児童の権利」という人為的な概念を設定し、各国政府にこれを国民に強制することを求め、かつ、国連〔児童の権利委員会〕がその履行状況を監視するという恐るべき体制を構築している。これは、人権は国連や政府が国民に付与するという立場を取るものであり、国家ないしその連合体たる国連が国民の上位の存在〔優越する存在〕であることを前提としている。これは、法の支配ないしコモンローの法思想と背馳し、自由主義社会の法原則と相容れず、全体主義思想に基づいていると断定せざるをえない。
イ コモンローの原則〔法の支配〕に基づき制定されたアメリカ連邦憲法においては、憲法修正第9号は、「憲法に列挙する権利は、国民がそれ以外に持っている権利を否定し、あるいは、軽視していると解してはならない」と規定し、国民の生命、自由、財産に関する不可譲inalienableの権利は神Creatorから与えられたという思想を国家の最高法規で宣言している。日本国憲法も法文上明示されていないが、アメリカと同一の「法の支配」の原則に立つものであることは明らかであり、国連〔条約〕が人為的に権利を設定し、これを変更・廃止できるという思想は自由主義国家の法原則を踏みにじるものである。
ウ なお、本条約の批准のための国会審議〔平成5年及び6年の衆・参外務委員会、以下、「国会審議」と略〕に当たり、政府は、本条約上の各般の児童の権利は、いずれも日本国憲法及び国際人権規約A及びBの範囲内のものであると答弁している。*1しからば、新たに本条約を締結すべき理由は存在しないことになる。これについて、日本国政府が、批准すべき理由として「児童の権利を尊重する姿勢を内外に示すことが望ましい」という見解を示している*2。しかし、国民の幸福を守ることが政府の最も重要な任務であることを鑑みれば、それを危険に曝すおそれがある条約を批准することは、「政府の体面」を国民の幸福に優先する極めて無責任で軽率な態度であり到底容認できない。
再度、本条約批准の政府の目的を明確に示されたい。
*1 衆外 平5.5.11
○小西説明員 お答え申し上げます。
  この条約の締結につきましては、政府部内で鋭意検討を重ねてきました。その結果、その目的とい
 たしますところは、基本的人権の尊重の理念に基づいている我が国の憲法と軌を一にするものであり、またこの条約上の権利につきましては、その内容の多くが我が国も既に一九七九年、昭和五十四年に締結しております国際人権規約に規定されておりまして、憲法を初めとする現行の国内法制で既に保障されているということから、政府としては、本件条約の実施のためには現行国内法令の改正または新たな国内立法措置を必要としていないというふうに考えております。 、、、、、
*2 参外 平5.6.10
○国務大臣(武藤嘉文君) 、、、 我が国がこの条約を締結することは、児童に対する人権の保障に関する我が国の姿勢を内外に示すものとして望ましいと考えられます。さらに、この条約の締結は国際社会における児童の人権の尊重の一層の普遍化に貢献するという意味からも極めて有意義なものと考えます。、、、

 (2)本条約は、全条文にわたり曖昧な規定が多く、多義的な解釈を許すものとなっている。その為、特定の政治的グループ〔例、日教組〕やNGOがその独自の政治的立場に立つ解釈によって人権侵害や秩序破壊を誘発し、さらに、政府が同様の解釈を採用して政府権力を以って公序良俗〔特に、学校〕を破壊し、伝統文化を破壊し、特に、愛情の絆で結ばれた児童の保護者である父母との関係ないし円満な家族関係を破壊するおそれがある。また、児童の権利委員会〔以下、委員会と略〕は、条約の独自な解釈を下に我国に対してさまざまな勧告を行っていることは極めて憂慮すべき遺憾な事態である。
    従って、政府は、これら国民の不安を解消するために、この条約がこのような重大な弊害を引き起こすことが無いのかどうかについて、包括的に、明快な見解を明らかにする必要がある。特に、委員会に条約の解釈権が無いこと、拘束力が無いこと、を天下に明確にし、拘束力があるかの如き国民の誤解を解くことを求める。
 〔補足説明〕
  ア 政府は、国会審議において、「本条約批准により、条約上の義務として国内法との整合性を計るため新たに立法ないし既存の法の改正は要しない」、さらに、「追加の予算措置は必要ない」旨繰り返し答弁している*3。また、「委員会に条約の解釈権は無い」旨明確に答弁している*4。この前提に立てば、過去2回に亘る様々な措置を要求する委員会の最終見解としての勧告は、日本政府の解釈を容認しないとする態度の表明であり、権限の逸脱であり不当である。さらに、条約上の義務を上回る措置の要求は主権の侵害であり、条約上何ら根拠が無いことは明らかである。
従って、政府は、これら勧告に何ら拘束力がないことを天下に明示する責務がある。そのことにより、一部の政治勢力及びNGO等が委員会に直接自らの要求を提出し、委員会の勧告を通じて政府に圧力をかける悪弊を排除する必要がある。仮に、委員会がそれら要求を受け入れて政府に勧告しても、条約上の義務が無いものは受け入れら無いことを明確にすれば、無用な混乱を回避することになる。
一部の特定のイデオロギーを信奉する一部勢力が条約を悪用することを許してはならない。
*3 衆外 平5.5.11
○小西説明員 、、、 関係省庁ともこの条約に照らしましていろいろ十分に検討した結果、この条約の義務として国内立法措置を行う必要はない、あるいは現在存在する国内法を改廃する必要はない、こういう結論が得られたわけでございます。
 また、予算措置についても、現在の予算として認められている範囲内においてこの条約の実施ができる、新たに予算として、例えばこの条約が分担金といったような義務を課しておるわけではございませんで、この条約を実施するためにどういった形の予算措置が必要か、あるいは政策の問題としてこの条約のいろいろな実施について予算をどういうふうに使っていくか、これは政策的な立場から検討して決めていくということでございますが、この条約の批准、この条約の義務を果たす上において、日本の国の立場として何か新たな義務が生じるかというと、その点は生じない、こういう解釈でございます。
 したがいまして、予算措置につきましても立法措置につきましても、関係省庁といろいろ検討しました結果、そういう条約上の義務を実施するという観点からの新たな立法措置、法令の改正、こういったものは必要ではないという結論に達したわけでございます
*4 衆外 平5.5.11
○小西説明員 今先生の御指摘になられました児童の権利委員会、この委員会は個々の条約の解釈が任務ではございませんので、そういった点についての見解は示しておりません。
 
(3)本条約は、条文が曖昧であると同時に、誰がこの条約上の権利を行使・強制するのか、不明である。しかし、合理的に推定すれば、条約上の多くの諸権利は、政府の支援を受けて子供が両親に対して行使・強制することは明らかである。これは、権利という概念を人為的に設定して、親子の愛情関係・信頼関係にこれを介在せしめ、それを根底から破壊することは明らかである。これは家族破壊の措置であり、到底容認できない。さらに、親子関係は、伝統、慣習、文化等の規範によって成り立っているが法概念を持って、これら諸般の倫理規範を無視することを強制することを意味している〔これら諸規範類との整合性については何ら条約上言及していない〕。このような法規範至上主義、倫理無視の態度も容認できない。従って、この条約の批准は撤回すべきである。
   政府はこの点について、このような事態を容認する立場なのかどうか、その見解を明らかにされたい。
 〔補足説明〕
  ア この条約は、児童に対してあらゆる問題について自由に意見を表明する権利を与え〔12条〕、「児童が選択するメディア」を通じてあらゆる情報を入手する権利を与え〔13条〕、「信教の自由」を与え〔14条〕、「結社の自由」「集会の自由を与え〔15条〕通信への干渉から保護される権利を与え〔17条〕、「休息したり遊んだりする権利」を与えている〔31条〕。
    例えば、児童は「休息したり遊んだりする権利」を楯に、宿題や家事を拒否することが出来ることを意味するのか。また、国内外の情報源から発進されるメディアの情報を得るためにテレビを見ることを要求することが出来ることを意味するのか、ポルノ情報の入手を両親が拒否できないことを意味するのか。さらに、児童が、夕食のテーブルで、両親に対して自分の言いたいことなら何でも言える権利を主張することになるのか。児童が、オカルト集団に入ることを両親が拒否できないことを意味するのか。児童が、過激な政治集団に入ることを両親は拒否できないことを意味するのか(もし、拒否できるとすれば条約上の根拠は何か)。
    以上の権利を行使するために、児童が、政府が費用を負担する弁護士に頼んで両親を被告として訴訟を提起することを意味するのか。
    実に様々な非常識な事態が想像されるが、政府の見解を求める。
  イ 一方、この条約は、「両親の権利及び義務」という定義されていない曖昧な用語に言及するだけで〔3条2〕、両親が未成年の児童に対して諸般の決定をなす権利の存在を明確にしていない。さらに、児童については権利のみ与え、義務は何ら与えていない。
   これは児童もまた社会的存在であり、様々な社会的制約に服し,特に,両親の監督権に服する義務を無視しており、条約のもつ家族破壊の意図が明白に読み取れる。
    この点を適切と考えているのかどうか、政府の見解を求める。
  ウ 本来、自由主義社会では、家族関係は、法や権力が入るべき領域ではない。それによって、人類の永年の英知の集積たる伝統、慣行、文化の持つ規範や価値観を排除し、愛情や信頼という合理性では処理できない分野を踏みにじり、結局、権力が家族を破壊する結果となる。これは、全体主義のやり方であり、到底容認できない。
    この点について、政府は如何なる見解を有するか、明らかにされたい。 


2.第2回日本政府報告に対する委員会最終見解(2004.2.26)に対する個別の意見

 (1)委員会の前回勧告〔パラ6〕
日本国政府第一回報告に関する委員会勧告中、差別の禁止〔パラ35〕に関し、委員会は、民法第900条四但し書きに定める非嫡出子の相続分〔嫡出子の2分の1〕の取り扱いを2条違反として非難し、立法措置〔改正?〕を求めているが、これは、相続分については条約上児童の権利として保護すべき対象ではなく、「差別ではない」*5、とする政府の解釈を否定するものであり、解釈権は締約国政府にあり「委員会には条約の解釈権は無い」という国会審議における政府答弁の前提に立てば、委員会が権限を逸脱ないし濫用した不当な要求であることは明らかである。しかも、この規定は法律婚を保護する目的で設けられたものであり*6、これを非難することは反道徳的見解であり、委員会の反道徳的な極めて偏向した立場を表明している。到底容認できない。
 政府は、このような委員会の権限を濫用した不当な要求は受け入れがたいことを明確に回答すべきである。
 また、条約の解釈権は締約国にある、ことを再度国民の前で確認されたい。また、条約第45条〔d〕に基づく「一般的な性格を有する勧告」の法的性格〔拘束力〕を明らかにされたい。
*5 参外 平5.6.10
政府委員(森脇勝君)  まず、この民法の規定〔民法900条四号ただし書き〕が児童に対する不合理な差別を禁止する規定であります本条約二条に抵触するかどうかという点でございます。
 この二条の一は、締約国は児童に対し「いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する」、こういうことになっておりまして、ここで「この条約に定める権利」が何かということが問題になるわけでございます。
 「この条約に定める権利」の中に相続分の保護が含まれるかどうかということでございますが、これは含まれないのではないかというふうに考えられるところでございます。それは本条約の中に相続に関し何らの直接的な規定を設けてございませんし、相続について何らかのものを示唆する規定というものも存在しないわけでございます。また、相続の問題は親子関係等の身分関係に基づいて生ずるもので、子が児童か否かといったことによって左右されるものではないわけでございます。特に平均寿命が長くなっている現在においては、相続が問題となる時点では相続人たる子も既に成人に達しているという場合がほとんどと考えられるところでございまして、その意味でも相続の問題はその児童の権利保護を目的とする本条約の対象外であるというふうに考えられるわけであります。したがいまして、この二条の一による保護の対象にはならない、このように考えられるわけでございます。
 次に、二条の二でございますが、二条の二は児童がその父母その他家族の構成員の地位に基づいて差別または処罰を受けないようにするための適当な措置をとることを締約国に課しているわけでございます。
 ここで問題になりますのは、この父母の地位ということでございますが、この「地位」というのは本条の制定経過に照らしても次に出てまいります「活動、表明した意見又は信念」、これと並ぶ社会的または政治的地位を指していると解されるところでございまして、したがって父母が婚姻関係にあるかどうかといったような身分上の違いに基づいて相続分に差異が出てくるということはこの二条の関知しないところではないかというふうに解されます。
*6 参外 平5.6.10
政府委員(森脇勝君)この九百条四号ただし書きにつきましては、以前からこの規定の当否について種々の議論があるところでございます。すなわち、両親が婚姻関係にあるか否かということは子どもにとっては責任のないことでございますから、これによって相続分に差異を設けるという規定を置くことは妥当ではないのではないかという議論が一方にございます。それから他方には、このような取り扱いの差を設けたのは法律による婚姻制度というものを維持しようとするものでやむを得ない差異なのだ、合理的な理由に基づく差異なのだという議論がございます。
*7 参外 平5.6.10
説明員(小西正樹君) この条約二条一におきましては、先ほど来お話しになっております出生あるいはその他の地位ということで御指摘の嫡出子、非嫡出子の問題が取り上げられておりますけれども、ここの条約で定めておる趣旨は、この条約に定める権利の享有において不合理な差異を設けることは禁じておるわけでございますけれども、合理性のある差異に基づく権利の享有ということについては認めるというふうに解されるわけでございます。

〔2〕法制度〔パラ10〕
  委員会は、「裁判所が条約を直接に援用できにも拘らず、実際に行われていないことを懸念する。」と表明している。
 委員会が、このように、締約国たる主権国の司法のあり方について包括的に意見を表明する条約上の根拠は何か。主権の侵害ではないか。政府の見解を求める。また、「懸念を表明する」条約上の根拠を明らかにされたい〔条約45条〔d〕は「提案」及び「勧告」は存在するが「懸念の表明」は含まれていない〕。

〔3〕調整及び国内計画〔パラ12,13〕
  委員会は、内閣府の青少年育成施策大綱について、包括的な国内行動計画でないこと等について「懸念」を表明し、大綱の作成方法について国連の成果文書である「子供にふさわしい世界」におけるコミットメントを考慮し、同大綱が諸問題に効果的に対処できるよう市民社会や児童とともに絶えず検証すること、を「勧告」している。
  しかしながら、その指摘事項は条約上の義務の内容ではなく、締約国の裁量に委ねられている事項であると考えられる。従って、懸念や勧告の表明は、委員会の権限を逸脱しているものである。従って、指摘事項は、44条に言う「提案」に該当すると考えるのが相当である。提案なら、その採否の裁量権は締約国にあることが明確となるからである。
  締約国の裁量に委ねられた事項について勧告する根拠は何か。提案と勧告の法律上の概念の違いを明らかにされたい。

〔4〕独立した監視〔パラ14,15〕
 ア 本節で、委員会は、「条約の実施状況を監視するための全国的な独立した制度が存在しないことを懸念し、」 人権擁護法案〔人権委員会の設立に関する法案〕の内容について様々な懸念及び勧告を表明している。条約上の如何なる根拠に基づいてかかる勧告をなしうるのか、不可解である。
   即ち、この法案は条約上の義務を履行するものではなく、締約国の裁量に基づく法案であって〔政府は、先述の通り、条約批准に伴い条約上の義務として新たに立法ないし法改正は要しない、と宣言している〕、委員会がかかる裁量行為に介入するのはその権限を逸脱し我国の主権を侵害する不当な行為である。特に、前及び今国会に再提出される動きがあった法案は、差別の概念が曖昧で、法案上設置される委員会の委員の国籍条項を欠き、政府が日本国民の人権を侵害するおそれが強いものであり、これを推奨する委員会の態度は到底容認できるものではない。
  仮に、委員会が意見を表明することを容認するなら、「提案」として表明すべきであり、あたかも条約上の義務の履行を求めるが如き概観を呈する「勧告」をなすことは、違法な行為であると考える。  政府の見解を問う。
イ なお、本節のタイトルに監視という用語を使い、国民を監視することを当然のごとく容認する態度は、この委員会が、監視社会を志向する全体主義的国家観を有することを明白に表明するものであり、自由主義者国の国家観と相容れない存在であることは明らかである。従って、我国はかかる性格の委員会の勧告等を受け入れることは原則として拒否すべきである。また、人権の問題について、人権を保護すべき政府が国民を「監視」するという用語を使うことは許されない。

〔5〕データ収集〔パラ16,17〕
 ア 委員会は、条約にかかわる児童に関する包括的データの収集及び児童関係の政府歳出予算に関する情報の欠如を指摘し、情報収集の強化を勧告している。
しかし、我国の膨大な財政赤字の下、財政再建が政府の至上課題である現状下で、政府歳出の事項間優先順位を決定するのは締約国の主権に属する問題であり、条約上の根拠無く、このような包括的要求を勧告することは委員会の権限を逸脱する行使であり、許されない。政府は、委員会の勧告権の濫用を厳重に抗議すべきである。さらに、この条約は、政府の国会審議の答弁でも明白な通り*、我国の人権擁護の水準は世界的に高く、本来、批准の必要性・緊急性の無いものであり、従って、政府は、児童関係の予算は全体予算の中で優先順位は低いことを内外に鮮明に宣言し、条約上根拠の無い不当な勧告は拒否すべきである。
 
〔6〕市民社会との協力〔パラ18,19〕
 ア 委員会は、政府とNGOの対話の欠如を指摘し、政府が計画的に市民社会と協力することを勧告している。
   そもそも、市民社会とは定義されていない用語であり、このような曖昧な用語を使い意図的に政治的に変更した特定集団との対話を要求することは極めて不当である。児童の問題は全国民にかかわる重大な問題であり、もし委員会が提案するなら、全国民との対話を言うべきである。委員会の偏向した立場は到底容認できない。さらに、NGOとの対話を勧告として要求する条約上の根拠は不明である。その根拠は何か。
 イ 政府は、既に、一部NGOとの対話を実施している。とくに、条約第44条に基づく政府報告を提出するに当たり、対話を広く公開して呼びかけることなく、一部NGO等の集団とのみ対話を実施している。これは、この条約の国民一般に対する重大な影響を及ぼすことに鑑みれば、国民全体を代表すべき政府の行為として極めて不適切でありかつ不当である。今後、かかる対話を実施する場合は、本条約の賛成派、推進派に限定することなく、反対派も含めて公開して国民全般の意見を聴取すべきである。また、政治的に偏った特定集団とのシンポジウム等の開催は、当然、取りやめるべきである。

〔7〕広報及び研修〔パラ20、21〕
 ア 委員会は、児童、社会全般、児童関係職業従事者が条約上の権利に基づいたアプローチを十分認識していない、と指摘し、各種キャンペーン、教育のやり方について細かく勧告している。
 先ず、「条約上の権利に基づいたアプローチ」という曖昧不明な用語を下に、具体的な内容を確認することなく意図的に多義的解釈を誘導し偏向した解釈を許す結果となり、無用の混乱を招くことになり不当である。さらに、そもそも、締約国の主権に基づく措置について細かく指示するが如き行為は、国連を世界政府と勘違いしている不当な行為であり容認できない。このような勧告をする条約上の根拠は何か。
イ また、仮に政府が独自にこれら類似施策を実施するとしても、キャンペーンや教育が、一部政治的に偏向した団体により支配され、条約の誤ったあるいは歪曲した解釈に基づいて実施されるおそれが大いにありうるので、そのような事態を阻止するため政府は万全の適切な措置をとるよう配慮すべきである。

〔8〕差別の禁止〔パラ24,25〕
ア パラ24,25の「社会的差別」は定義されていない用語である。委員会に定義を求め、条約との関連を明確にすることを求めるべきである。

〔9〕児童の意見の尊重〔パラ27、28〕
 ア 委員会は、「児童に対する社会の旧来の態度」によって、児童の意見の尊重が家庭、学校、その他の施設、社会全体で制限されている、」と断定的に指摘し〔パラ27〕、いくつかの勧告を行っている。
   しかし、ここに言う「「社会の旧来の態度」が何を指すか不明であるが、当然、長年の人類の経験と英知の集積である伝統や習慣や慣習や価値観が当然含まれていると推定されるところ、委員会が、このような伝統等に対して一切価値や認めず、権利との調和について一切考慮しないという極めて軽薄かつ偏った政治的立場を表明するものであり、到底容認できない。政府は、委員会に対して、伝統等について一切価値を認めぬ全体主義的態度はいたずらに社会の混乱を招き公序良俗を破壊する結果を招来するという事態は容認できないことを表明し、厳に注意を喚起すべきである。また、委員会がその態度の非を認めない場合は、本条約はかかる軽薄な見解を容認する本質的欠陥があることとなるから、本条約を破棄すべきである。
 イ 委員会は、「児童に影響を及ぼす全ての事項や政策決定への児童の参加を円滑にすること、児童がこの権利の認識するよう確保すること」〔(パラ28(a))、「学校その他の教育機関、余暇その他の児童活動のための施設における施策を決定する理事会、委員会、及びその他の集団に定期的に参加することを確保すること」〔パラ同〔d〕〕を勧告している。
   しかし、条約12条1項は、政府見解によれば*1、児童の意見表明権は無制限なものではなく、その意見が相応に考慮されるべきであるという理念を一般的に規定したものであり、児童に能力があること、及び、児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮すること、の条件の下に認められる権利であり、これら条件を一切無視し、日本政府の解釈を無視し、条約の解釈権の無い委員会の独自の解釈に基づく極めて不当な要求である。〔なお、児童の能力の有無は誰が判定するのか。合理的推定すれば、最終判断は司法が行うと想定されるが、このような曖昧な条件下では訴訟が頻発し、児童を取り巻く人間関係は破壊される。政府は、かかる事態を容認しているのか。見解を問う。〕
しかも、児童の意見を如何なる方途により聴取するかは主権国たる締約国の裁量事項であり、このような委員会の一方的な見解を強要する態度は到底容認できない。
   また、同条2項は、行政ないし司法手続きにおける児童の意見表明権を認めたものであるが、政府見解*1*2の通り、これは手続きに関係する個々の児童の意見表明を求めるものであるが、パラ28〔a〕は、包括的に児童の参加を求めるものであり、権利の無制限な行使を容認する如き見解を表明しており、不当である。

*8 衆外 平5,5,11
富岡説明員 条約の第十二条の一項には、児童につきまして自己の意見を表明する権利を規定しているわけでございますが、同条は、児童の意見を年齢等に応じまして相応に考慮することを求めるものでございまして、児童の意見を無制限に認めよというものではないものでございます。したがいまして、例えば校則とかあるいは学校のカリキュラムにつきまして児童の意向を優先するということまで求めるものではなくて、それは学校の責任と判断におきまして決定されるものだというふうに考えておるわけでございます。
 また、十二条の二項でございますが、一定の行政上の手続につきまして児童が聴取される機会が与えられる旨規定しているわけでございますが、これは、個々の児童に直接影響を及ぼすような行政上の手続におきまして意見の聴取の機会を与えられる旨の規定でございます。したがいまして、個々の児童を直接対象としたということではない、例えば、学校のカリキュラムの編成、校則の決定等につきましては、条約上の義務ということとして、児童の意見を聞く機会を設けなければならないわけではないというふうに考えているところでございます。
*9 衆外 平5.5.11
小西説明員 十二条の趣旨でございますけれども、十二条の第一項は、児童が自分の意見を言えるような、そういう能力を持つ段階になれば、児童といっても、だれと結婚するか、どういった職業を選ぶか、どのような学校に行くか、こういった児童の個人に関するすべての事項について自分の意見を述べることが認められるべきであって、ただ子供であるからということでその意見が無視されるというようなことがあってはならない、そのような事項については、その意見が相応に考慮されるべきであるという理念を一般的に規定したものであるというふうに考えております。
 したがいまして、この十二条一項の規定自体は締約国に対して積極的にその聴取の機会を設けるという義務を課すものではないというふうに解されますけれども、締約国が児童に対してこのような事項について意見を述べるというようなことを禁ずるようなことはもちろん許されないわけでございます。
 次に、第十二条の二項の方でございますけれども、この二項につきましては、児童が自己に影響を及ぼす事項についての意見を表明するという児童の権利を手続的に保障するということを目的といたしまして、児童一般に対してではなく、特に、個々の児童に対して直接影響を及ぼす司法上及び行政上の決定または措置に関する手続において、その当該児童に対して意見を聴取される機会を用意されるように国家に対して義務づけたものというふうに解されます。

〔10〕表現及び集会の自由〔パラ29,30〕
ア 委員会は、「学校内外での児童により行われる政治活動への制限について懸念する」とし、条約13条〔表現の自由〕、14条〔思想、良心、表現の自由〕、15条〔結社、集会の自由〕の完全な実施を確保するため、法律、規則、両親の同意の必要を再検証することを勧告している。ここに言う政治活動への制限に関する懸念の具体的内容が明らかではないため、論評できないが、条約上いずれの権利も条文上の一定の制約の下に認められるものであり、これら制約条件に関する委員会の一方的解釈を強要する趣旨であれば、当然のことながら、容認するべきではない。
イ 本件については、これら条文の解釈について本意見書1〔3〕補足意見アに適示した
具体的に想定される事態が発せするのではないかという疑問について、政府見解を
明らかにされたい。

〔11〕プライバシー権〔パラ33,34〕
ア 委員会は、政府が「児童のプライバシー権が完全に実施されることを確保すること」〔パラ34〔a〕〕を勧告している。しかし、プライバシー権という概念は条約上存在せず、委員会のこのような根拠のない概念を濫用する乱暴な態度は拒否すべきである。
   さらに、条約第16条2項に言う私信等に対する干渉および攻撃に対する法律の保護を意味する場合、具体的に如何なる事態が発生するのか。例えば、両親による私信の干渉に対してその子たる児童が両親を被告として訴訟を提起する意味か。政府の見解を明らかにされたい。
イ  家庭内のかかる紛争は、相互の愛情と思いやりと保護監督上の配慮の下に互譲の精神で解決すべきであって、仮に、法が介入して裁判沙汰にすることを政府が後援する事になれば、家族間に回復しがたい心理的後遺症を残し、結局、政府が権力を行使して家族関係を破壊することを意味する。もし、この条文がかかる事態を容認するとすれば、この条約は家族関係を破壊ものとして大多数の国民は容認しないはずであり、従って、本条約を破棄することが相当である。

〔12〕体罰〔パラ35,36〕
 ア 委員会は、施設及び家における体罰を禁止すること〔パラ36〔a〕〕を政府に勧告している。条約上体罰の規定は無く、勧告が如何なる根拠に基づくのか不明であり、勧告権の濫用である。また、体罰とは如何なる法概念か説明していない。
 体罰は常識的には、教育上あるいは秩序維持上監督的立場にあるものが監督かあるいは保護下にあるものに対する軽微な有形力の行使であり、これをその目的に照らし容認すべきかあらざるか微妙な境界線上の問題であって、かかる分野にまで政府権力が介入することは慎重でなければならない。過度の有形力の行使は、刑法によって保護されるのであるから、体罰の概念を曖昧にしたまま、政府の介入を求める委員会の態度は到底容認できない。また、体罰という概念を導入し、刑法とは別途に政府が禁止のために法的に取り締まることは、適切ではない。
 イ 本来、児童を教育上あるいは保護上派生する問題は法規範ではなく倫理規範等法規範以外の社会規範あるいは教育により対応すべきである。法規範で一切の社会問題を解決せんとする委員会の姿勢は、伝統的な倫理規範を否認する全体主義的法思想を背景としていことは明らかであり、委員会のこの基本的態度を留意し、自由主義国家の理念に反する勧告等に対しては政府の特段に慎重な対応が求められる。

〔13〕教育・余暇そして文化活動〔パラ49、50〕
  ア 委員会は、パラ49において、児童の教育について、条約上の根拠を明示せず〔恐らく、根拠無く〕、締約国の裁量下にある諸問題について懸念を表明しているが、これらは委員会の権限を逸脱しており到底容認できるものではない。政府は、委員会に対して、その介入の不当性を明確に指摘すべきである。
  イ 特に、パラ49(g)は、検定制度を非難し、歴史教科書の内容が一方的内容であると断定して、懸念を表明し、パラ50〔e〕で、「教科書が公平な見方提供するよう、教科書の検定手続きを強化すること」を勧告している。委員会はいかなる条約上の根拠に基づいて、教育という締約国の主権に介入しいているのか、政府の見解を求めたい。
 さらに、歴史教科書が一方的ないし不完全と断定する委員会の見解の根拠を明示するよう、委員会に要求することを求める。かかる委員会の目に余る権限濫用と主権侵害行為を断じて許してはならない。政府の毅然たる態度を期待し、委員会に対して厳重に抗議することを強く要望する。
委員会は、締約国の上位機関ではない、ということを理解していない傲慢かつ愚昧な委員会を日本政府は分を弁えるよう教育する必要がある。
以上

00 : 24 : 03 | 児童の権利条約 | trackback(1) | comment(2) | page top↑
外務省への要望
2006 / 07 / 17 ( Mon )
去る7月13日、外務省において、児童の権利条約44条に基く、日本政府の報告書作業についての、外務省他各省庁との意見交換会が行なわれました。

これは私達としては5月12日に続く、二回目の意見交換会ですが、反日NGOは、3月17日に、非公開で外務省他各省庁との意見交換会を行なっており、5月12日にも、非公開で行なっております。

今回の意見交換会においても、私達は、外務省等から、紋切り型の国会答弁書のような回答しか得られませんでした。

詳しい話し合いの経過は後ほどアップするつもりですが、話し合いの最後に、第三回目の意見交換会を要求しましたけれども、「検討する」との回答は得られたものの、実現は相当難しいと思っております。

そこで、外務省への意見交換会開催要望を、皆さんに呼びかけて、送っていただいている所です。

以下は、私が送った要望です。


外務省 人権人道課 木村課長殿

児童の健全な育成を守るNGOネットワークの岡本明子でございます。
7月13日には、意見交換会を開催して頂きまして、感謝しております。

●さて、2回の会合を通じまして感じましたことは、国連の人権諸条約で世界的には救済される人々もいる反面、国連の人権政策が、それぞれの国の内情にまで介入する度合いが増してきており、文化や伝統を破壊しているという側面のあることを、「人権」を取り扱う専門家である木村課長はじめ、外務省の担当の方々には、もっと考えて頂かなければならないと思っております。

現在の国連の「人権」政策や、それに関わる方々を見ておりますと、
国連の考えるスタンダードを金科玉条として、「押し付け」となっている面に気づいておられるのでしょうか。
もしも、単純に「人権」促進が良いことであり、これを世界的スタンダードにしなければならないと思っておられるのなら、これは非常に危険なことです。


●次に、具体的なお願いを致します。

1.3月に行なわれた特定のNGOとの「非公開会合」は、非公開であったがゆえに、一切無かった事にして頂きたい、又、その会合の結果は「日本の政策」に反映させないで頂きたいと思います。
これは、当然の要請であると思っております。

2.それと関連いたしますが、非公開会合を行なわれて来た特定のNGOは、国連に報告書を出せる資格を持っています。
従って、政府との意見の一致を見ない部分は、独自にカウンターレポートとして国連に提出することが出来て、しかも、それが児童の権利委員会によって、どちらかと言えば、政府レポートよりも重用されているようです。
翻って、私共のような国連への参加資格の無い、組織力も資金力も無い国民は、政府との話し合いのほかに、国連の人権政策に関与する術がありません。

従いまして、国連参加資格を持つNGOとは、立ち位置の違う、謂わばマイノリティーなのですから、是非、今一度の意見交換会を開催されるよう、強く要望いたします。

児童の健全な育成を守るNGOネットワーク 世話人 岡本明子
23 : 14 : 51 | 児童の権利条約 | trackback(0) | comment(1) | page top↑
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